## ひたすら1対1、それだけの練習
体育館でのBチームの練習。この日メインでやったのは、ひたすら1対1だった。
ドリブルで仕掛ける子、身体を入れて守る子。コーンも、ゴールも、複雑な設定もない。ただ二人が向き合って、ボールを取るか取られるかを繰り返すだけの時間。
正直、見ていてシンプルすぎるくらいのメニューだと思う。でも、子どもというのはこういう「制約の少ない繰り返し」の中で、勝手に工夫を始める生き物らしい。
## 気づいたら、身体の使い方が変わっていた子がいた
何度も1対1を繰り返しているうちに、明らかにプレーが変わってきた子が何人か出てきた。
一番わかりやすかったのは、ボールを取られそうになったときの反応だ。以前はボールだけを守ろうとして、結局取られてしまうことが多かった子が、いつの間にか自分の身体を相手とボールの間に入れるようになっていた。
言葉で説明されたわけじゃない。僕がその子に「身体を入れなさい」と指導した記憶もない。ただ、取られる・取られないを何十回も繰り返す中で、その子自身が「こうすれば取られない」という答えを、勝手に見つけていた。
## 指導者の無力さと、子どもの力
これを見ていて、正直ちょっとした無力感みたいなものを覚えた。
僕がやったことといえば、1対1という場を用意しただけだ。「こうしなさい」と教えたわけじゃないのに、子どもは自分でちゃんと答えを出してくる。むしろ僕が変に口を出さなかったことの方が、良かったんじゃないかとさえ思う。
指導者として、教えることに価値があると思い込んでいるところが自分にはあると思う。でも実際に成長が起きた瞬間を見ると、そこに僕の「指導」らしいものはほとんど介在していなかった。
## 指導者の役割は「教える」ことより「選ぶ」こと
じゃあ指導者は何をすればいいのか、と考えたときに浮かんできたのは「選択」と「観察」という2つの言葉だった。
どんな場(メニュー)を用意するか。それを選ぶのが指導者の仕事で、そこで何が起きるかを丁寧に見ているのが、もう一つの仕事なんだと思う。逆に言うと、その場で起きていることに余計な口を挟まない勇気も、指導者には必要な気がする。
答えを教えることより、答えを見つけられる場を用意すること。そして、その場で何が起きているかをちゃんと見ていること。今回の1対1の練習で、そんなことを改めて考えさせられた気がする。


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