教育の目的は、教育基本法の第一条に明記されている。
教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
と。今問題となっているのは、その手立て、方法です。
明治の頃から、先生が黒板の前に立ち、児童生徒が椅子に座って話を聞きながらノートを取るという方法はずっと変わっていない。
目に見える答えを教育に持ったことで、計算のスキルや知識など、正解を教え続けた結果、なかなか現在教育とは・・・という難問に、現場や国民全員が迷っている様子が感じられます。
その中で最近、体験型の教育の充実や評価の観点の中に主体的に取り組む態度が設けられ、またテクノロジーの発達に伴って、GIGAスクール構想によりICTの普及の中で、現場の教員たちの教育力が追い付かない状況が今であると思っています。
それは、今まで決まったものを決まった教え方で教えてきた、また公教育として、ある程度均等に教育方法を変えない方が良い風潮も影響していると考えられます。
しかし、現在では、教えることをどのようなアプローチでどのような方法で教えていくことが良いかということがしばしば注目されつつあります。
答えがない、けど最適解であろう、納得解を出しながら、目に見えない評価指標を最適化することが求められています。
つまり、教員はセンスを磨きながら(センスは知識の量)、その子どもに応じた個別の最適解を出すことが求められています。特別支援教育で実践されている複数人で様々なアプローチを子どもたち個人個人に合わせた教育を提供することが求められているように感じています。
ただ、そのコストを国が準備できるかと、教員がそのモチベーションや向上心、があるかという問題があり、やはり公教育から変わっていくのではなく、私企業や私学、いやサロンなどから波及する動きなのかなと感じています。
私も公教育に関わる傍ら、そのような疑問を抱いて、教育の価値の向上や柔軟で、軸のある教育を実践できる場を提供したい思いをずっと持っています。
それもこのブログを書き始めた一つの理由です。
答えはまだ見えていませんが、自分が目指す方向が見え始めて、その方向にアクションできることがあるとすれば、みなさんにもぜひ応援いただきたいと思っています。
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