ある晩、長男と少しだけ真面目な話をした。
テーマは「自分で選ぶことの大切さ」。自分で選んだからこそ、うまくいかなかった時に「失敗したな」と気づける。だから、自分で選ぶということを大切にしてほしい。話したのは、だいたいそんなことだった。
話している間、長男は目に涙を浮かべていた。話が終わったあと、寝室に入ってきた長男はすっきりした顔をしていたと、あとで妻が教えてくれた。
なぜ「選ぶ」の話をしたのか
どこか人ごとに見える長男
長男には、生活の中でもどこか人ごとに見えるところがある。習い事でも、先生の話を聞こうとはしている。でも、課題そのものに向き合っている感じが薄い。見ている側としては、正直モヤモヤすることが多かった。
自分で考える力をつけてほしい。そう長く伝えてきたつもりだけど、振り返ると、伝え方が「こうしなさい」に寄っていた気もする。
怒らないことを意識していた時期だった
ちょうど最近、子どもにむやみに怒らないことを意識していた。きっかけは大したことではなく、「やってみたら」くらいの軽い気持ちだった。
ただ、その状態で長男と向き合ったのは、今回が初めてだったかもしれない。
涙の理由を考えてみる
責められたのではなく、受け止められた
涙の理由は、本当のところは本人にしか分からない。ただ、叱られて泣く時の顔とは違ったように思う。
「ちゃんとしなさい」ではなく「あなたが選ぶことを大事にしてほしい」。言っている中身は似ていても、受け取る側にとっては、たぶん全然違う。信頼されている、任されている、という感覚が少しでも届いたのなら、それで十分な気がする。
自分が優しくなれたこと
普段、長男とは笑い合う時間がそれほど多くない。
その中で、今回は自然に優しく話せた。長男の当事者意識という課題に、少しアプローチできたという手応えもある。でも僕にとっては、自分が優しくなれたこと自体が、一番よかったことかもしれない。
これからの関わり方:「自分で選べたか」を聞く
選ぶ中身は限定しない
これからは、「自分で選べたか」を聞くことを軸にしようと思っている。
何を選ぶかは限定しない。どんな選択でも否定はしない。親から見て遠回りに見える選択でも、それが本人の中で選んだものなら、それでいい。
振り返りは「選んだ結果」から
うまくいかなかった時は、責めるのではなく振り返る。自分で選んだ、だからここがうまくいかなかった。その流れで一緒に考えられたらいいなと思う。
選んだ結果の失敗なら、それはちゃんと次につながる失敗になるはずだ。
一回の話で変わるとは思っていない
あの夜の涙で、長男が明日から別人になるとは思っていない。たぶん、また人ごとみたいな顔をする日もある。
それでも、あの話を一度できたことには意味があった気がする。次に長男が何かを選んだ時、僕がどんな顔で振り返れるか。試されているのは、むしろ僕のほうなのかもしれない。


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