長男のプレーを見ていて、最近ずっと気になっていることがある。ボールを受ける場面で、毎回のようにボールが少し流れてしまうのだ。
止めようとした足の、ほんの少し先をボールが転がっていく。慌てて一歩追いかけて、そこからようやく次のプレーに移る。その一歩ぶん、相手に時間を与えてしまうし、自分の選択肢も減っていく。ミスと呼ぶほど大きなものではない。でも積み重なると、プレー全体の窮屈さにつながっている気がしていた。
ボールが「今ある場所」に準備してしまう
しばらく見ていて、ようやく理由が見えてきた。長男は、ボールが今ある地点に対して体の準備をしているんだと思う。
でも、ボールは止まっていない。転がってくる間にも位置は変わっていく。今の地点に合わせて足を出せば、ボールが届くころには、転がった分だけずれてしまう。だから毎回流れる。シンプルな話だけど、本人の中ではちゃんと準備したつもりなのかもしれない。
必要なのは、ボールがどういう軌道で、どこに来るのかを先に読んで、その地点に向けて準備しておくこと。言葉にすると当たり前のことだけど、これが長男にとっては意外と難しい。
センスのある子は、何も言わなくてもそうなっている
いわゆるセンスのある子たちは、誰に言われたわけでもなく、自然とボールの行き先に体を運んでいる。どうやっているのか聞いても、多分本人たちもうまく説明できないと思う。それくらい無意識にできている。
長男は、その状態にいつでもいるわけではない。できる場面もあるけれど、毎回というわけにはいかない。だからこそ、一つひとつ言葉にして伝えていく必要があるんだと思う。
「なぜそうなるのか」を考えたことがなかった
教えがいがある、と言ってしまえばそれまでなんだけど、正直に言うと、僕自身がサッカーをしていた頃は、こんなことを考えたことがなかった。ボールが流れる理由も、流れない理由も、深く考えずにプレーしていた気がする。
長男を見ているうちに、なぜこの子はこうなるのか、できる子は何が違うのかを考えるようになった。気づけば、自分がプレーしていた頃よりも、今のほうがよっぽどサッカーについて考えている。子どもに教えているつもりが、教わっているのは案外こちらのほうなのかもしれない。
次男は、ぎりぎりまで判断を変えられる
一方の次男は、足元の技術で言えば、まだ長男よりおぼつかない。ボールを扱う丁寧さでは、兄のほうが一歩先にいると思う。
それでも次男には、次男なりの強みがある。ぎりぎりまで判断を変えられることだ。一度決めたことにこだわらず、相手の動きを見ながら、最後の瞬間に別の選択ができる。
技術は練習を重ねればついてくる部分も大きいけど、この最後まで判断を保留できる感覚は、教えて身につけさせるのが難しい部分だと思う。そういう意味で、次男にはサッカーに必要な要素が、すでに備わっている部分もある気がしている。
兄弟でも、伸ばすところはまったく違う
並べてみると、二人の課題はほとんど正反対だ。長男は技術はあるけれど、ボールが来る前の準備に課題がある。次男は技術はまだまだだけど、判断の柔らかさを持っている。
同じ家で育って、同じ公園でボールを蹴ってきたはずなのに、こんなにも違う。上の子で見えたことが、下の子にそのまま当てはまるとは限らない。だから、それぞれに合ったサポートを考えて、実践していくしかないんだと思う。長男には、ボールが来る前の準備を言葉にして伝えていく。次男には、持っている判断力を活かせるだけの技術を、少しずつ積み上げていく。やることは地味だけど、多分それが一番の近道なんだと思う。
大人になったとき、後悔しないように
二人がこの先どこまでサッカーを続けるのかは、まだわからない。ただ、彼らが大人になったときに、あのときもっとこうしておけばと思わないように過ごしたい。それは子どもたちだけの話ではなく、僕自身についても同じだ。あのとき、ちゃんと見ていたか。ちゃんと考えていたか。
ボールが来る前に準備しておくことは、長男の課題であると同時に、親としての僕の課題でもあるのかもしれない。。


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