ギリギリまで待てた長男と、技の間で止まった次男。サッカースクールで見えた「学ぶ姿勢」

サッカー

昨日のサッカースクールで、長男がとても良い取り組みをしていた。

相手が寄せてくるのを、ギリギリまで待つ。来たところで、かわす。それを一回きりではなく、何度も試していた。うまくいく場面もあれば、引っかかる場面もある。それでもタイミングを変えながら、自分なりに確かめているように見えた。結果を出しにいくというより、実験をしている、という言葉が一番近い気がする。

終わったあとは、もちろん褒めた。というより、褒め続けた。それでも足りなかったのか、そのあとも独り言で「めっちゃよかった」とずっと口ずさんでいた。誰に聞かせるわけでもなく。

長男は「待つ」を実験していた
得意技に逃げていた頃との違い

少し前まで、長男は困ったら得意なイン・イン・アウトに頼る子だった。新しい技を試すように言われても、結局いつもの形で何とかしようとする。それを見て、厳しい言葉をかけたこともある。

昨日は違った。待つ、という選択そのものが、長男にとっては新しい技だったんだと思う。相手との間合いを自分から作りにいく。得意な形でその場をしのぐのではなく、まだ確信のないやり方を、わざわざ試していた。

相手なしのドリブルも、軽くなってきた

相手をつけないドリブルも、少しずつ良くなってきている。週1回、同じような動きを繰り返すうちに、脳のメモリーが慣れてきたのかもしれない。最初は次の足の運びを考えるだけで頭がいっぱいだったのが、だんだん体に任せられるようになって、脳のストレージをそこに取られなくなってきた。そんな印象がある。

空いた容量で、相手を見る。待つ。かわす。昨日の実験は、その余白があったからこそできたことなのかもしれない。

次男は、技と技の間で止まっていた

一方の次男は、ドリブルの技から次の技へ移るところで戸惑っていた。

戸惑うこと自体は、悪いことじゃないと思う。覚えている途中なんだから、むしろ自然なことだ。気になったのはそのあとだった。わからなくなっても、コーチに聞かない。その場で止まって、待っている。コーチから声がかかると反応して動き出すし、言われればちゃんとできる。でも声がかからなくなると、どの技だったかをわざわざ止まって思い出していて、実行までに時間がかかっていた。

同じ「待つ」でも、中身が違う

並べてみると、長男も次男も「待って」はいた。ただ、長男は自分で間合いを取りにいく待ち方で、次男は誰かの声を待つ待ち方だった。同じ言葉でも、中身はまったく違う。兄弟で同じ場所に立っていても、見えている景色は多分ずいぶん違うんだと思う。

コーチとして一番のゴールは「学ぶ姿勢」

僕が昨日ずっと引っかかっていたのは、技術そのものより、子どもたちの学ぶ姿勢のほうだった。

僕自身、小学2年生のチームでコーチをしている。そこで子どもたちに対して置いている一番のゴールは、小学校年代のうちに学ぶ姿勢を身につけることだ。どの技が使えるかは、あとからいくらでも追いつく気がする。でも、わからないときにどう動くか、うまくいかないときに何を試すか、という姿勢は、放っておいて身につくものではないと思う。

戸惑うことと、止まることは違う

戸惑うのはいい。ただ、戸惑ったまま止まってしまうと、学びの主導権はそこで誰かの手に渡ってしまう。聞く、試す、間違える。どれでもいいから、自分から一歩動くこと。昨日の長男がやっていたのは、多分そういうことだったんだと思う。

次男に同じことを求めるには、まだ少し早いのかもしれない。6歳には6歳の学び方がある。それでも、止まっている時間が少しずつ短くなっていけば、今はそれで十分な気もしている。

長男のあの実験が来週も続くかは、正直わからない。次男が次は聞くのか、また止まるのかもわからない。ただ、昨日のことを思い出すと、また「めっちゃよかった」と口に出しそうになる。そのくらいの温度で、次のスクールも見に行こうと思う。

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