鍾乳洞の冷たい水に、次男が見せた「動けなくなった顔」

旅行・お出かけ

金曜の夜、フェリーターミナルで子どもたちは終始そわそわしていた。九州へ渡るのは初めてで、船に乗ること自体が非日常だったんだと思う。荷物を抱えて乗り込んだ瞬間の、あの落ち着かない足取りを覚えている。出港してしばらくすると、三人ともあっさり眠ってしまった。僕はといえば、翌日からの予定を頭の中で何度も並べ直していた。

一日目、僕と家族で見ていた景色は違った

到着した日は、僕だけコミュニティの勉強会や物件見学会に顔を出していた。副業として申請している範囲内での活動で、休みのたびに動いているとはいえ、家族旅行の日程に組み込むのは正直気が引ける部分もある。ただ、妻と子どもたちはホテルのアトラクションで丸一日楽しんでいたようで、夜に合流したときの子どもたちの顔を見て、「まあ、これでよかったんだろうな」と思うことにした。

一つ屋根の下にいても、家族それぞれが別の一日を過ごす日がある。それが悪いことだとは思わない。ただ、自分だけ違う景色を見ていたことに、少し後ろめたさみたいなものは残った。

平尾台の鍾乳洞で、子どもたちが見た知らない世界

二日目は平尾台の鍾乳洞へ。中に入った瞬間、子どもたちの表情が変わった。真夏なのに、洞窟の中はひんやりとしていて、足元を流れる水は驚くほど冷たかった。次男は靴が濡れた瞬間に泣き出してしまったし、長男も表情がこわばっていた。

それでも、少し歩いて奥の空間が開けてくると、二人とも急に静かになった。地上とはまったく違う、光の届き方も音の響き方も違う世界に入ったことが、子どもながらに伝わったんだと思う。泣いていたはずの次男が、しばらくすると天井を見上げたまま動かなくなっていた。ああいう「言葉にならない感動」の顔を、久しぶりに見た気がする。

数字で言うと、鍾乳洞の中は年間を通して十五度前後らしい。真夏の体感で言えば、かなり冷たく感じる温度だと思う。それでも、あの冷たさがあったからこそ、非日常の空気がより強く記憶に残ったのかもしれない。冷たさに泣くところまで含めて、あの日の記憶なんだと思う。

その日の夜は、直方の花火大会で締めくくった。冷たい洞窟から一転、蒸し暑い夜に打ち上がる花火を見上げる子どもたちの顔は、また違う種類の「動けなくなった顔」だった。同じ一日の中に、こんなに温度差のある感動が二つも詰め込まれているのだから、旅行というのは不思議なものだと思う。

スペースラボで見せた、それぞれの顔

三日目は、子どもたちだけで北九州市のスペースラボへ。僕はその間、個人で保有している物件の管理まわりの用事を済ませていた。管理会社と打ち合わせをして、少し前に購入した物件についても話をした。淡々とした、いつもの平日と変わらない時間だった。

旅行の中にこういう時間が挟まると、家族旅行なのか出張なのか、自分でもよくわからなくなる瞬間がある。ただ、こういう積み重ねの延長線上に、いつか家族との時間をもっと自由に選べる未来があるはずだと思っていて、だから今はこれでいいんだと、自分に言い聞かせている部分もある。派手に休みを取って旅先を巡るような余裕はまだないけれど、静かに一つずつ物件を増やしていく作業も、この旅行と同じくらい大事な時間だと思っている。

夕方に合流すると、子どもたちはスペースラボで見た展示のことを、代わる代わる話してくれた。誰が何を一番気に入ったかはバラバラで、同じ場所にいても見ているものは違うんだなと、これも鍾乳洞のときと同じようなことを思った。

静かに、それぞれの世界を持ち帰る

三日間を振り返ると、家族全員で同じ景色を見ていた時間より、それぞれ別の場所で別のものを見ていた時間のほうが長かった気がする。それでも夜になると、その日見たものを持ち寄って、拙い言葉で報告し合う。多分、家族旅行の良さというのは、同じ体験を共有することよりも、こうやってバラバラの体験を持ち帰って重ね合わせることのほうにあるのかもしれない。

次男が鍾乳洞で見せた、あの動けなくなった顔を、僕はしばらく忘れないと思う。

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