0−3の予選と、逆転した決勝。同じ日に見た二つのサッカー

サッカー

先日の日曜日、6年生の全日予選を見に行った。長男と次男を連れて、ピッチの外から。勝たなければならない一戦で、結果は0−3だった。

負けた事実そのものより、その負け方のほうが頭に残っている。

個々で仕掛けることの限界が、点差より先に見えた

見ていて一番強く感じたのは、ボールが全員の間で回らなかったことだった。

ボールを持った子が、その場で自分の勝負を仕掛ける。抜ければ形になるけれど、止められればそこで攻撃が終わる。次の手がない。だから相手からすると、対応するのは難しくなかったんだと思う。誰が持っても、やってくることが同じなら、待っていればいい。

個で仕掛けること自体が悪いわけではないと思う。むしろ、一人で剥がせる子がいるのは強みだ。ただ、それが「唯一の攻め手」になった瞬間に、チームとしての幅がなくなる。0−3という数字は、その帰結として妥当だった気がする。

僕が普段見ているのは小学2年生で、学年も、できることもまったく違う。それでも、そこで起きていたことは、うちの学年で感じている課題とそのまま地続きだと感じた。仕掛けられる子が増えることと、チームとして攻められることは、似ているようで別の話なんだと思う。

必要なのは、やり直せるサッカーだった

じゃあどうすればよかったのか、と考えたときに浮かんだのは、やり直すという発想だった。

仕掛けて、詰まる。そこで無理に突っ込まずに、もう一度戻す。戻したところからまた組み立て直して、相手が動いた結果として空いたところに、あらためて勝負を仕掛ける。それを繰り返す。

戻すことは、逃げることじゃない

戻す、という選択は、子どもにとっては消極的に見えるんだと思う。前に運ぶのが良いプレーで、下げるのは失敗の処理、くらいの感覚になりやすい。

でも実際は逆で、戻せるチームのほうが、相手を動かせる。相手が動けば、必ずどこかが空く。空いたところに仕掛けるから、同じ仕掛けでも成功率が上がる。仕掛けるために戻す、という順番が要るんだと思う。

この日の予選を見て思ったのは、その順番を持てているかどうかで、同じ選手たちでも見え方がまったく変わるということだった。目新しい発見ではない。ただ、頭で分かっていることと、0−3という結果として突きつけられることは、やっぱり重さが違う。

同じ日の午後、長男のチームは二度リードを許してから逆転した

その試合が終わったあと、地域のカップ戦があった。長男のチームは決勝まで進んだ。

決勝の相手は、力関係で言えば自分たちより下だったと思う。それなのに、自分たちのミスからリードを二度許す展開になった。崩されたわけではなく、自分たちで渡してしまった失点だった。

見ていて、正直しんどい時間だった。実力で押されているわけではないぶん、余計にもったいない。

それでも、そこから逆転して勝った。

負けている時間に、何をやめなかったか

逆転できた理由を一つに絞るのは難しいと思う。ただ、リードされている間もボールを動かし続けていたこと、攻め手を変えながら何度もチャンスを作り直していたことは、確かにあった。

失点したあとに一番起きやすいのは、焦って一発を狙い始めることだと思う。前に蹴る。一人で突っ込む。そうすると、さっきの予選と同じ形になる。この日は、そうならなかった。

動かし続けることと、考え続けること

同じ日に、対照的な二つの試合を見たことになる。

一方は、個々の仕掛けだけで攻めて、0−3で終わった試合。もう一方は、二度リードを許しながら、ボールを動かし続けて逆転した試合。技術の差というより、攻め方の引き出しと、それを最後まで続けられたかどうかの差だった気がする。

やり続ける。ボールを動かし続ける。チャンスを生み続ける。そして、考え続ける。言葉にすると当たり前すぎて、練習中に子どもに言っても多分あまり刺さらない。それでも、この日見た二つの試合の間にあった差は、結局そこに集まっていくように思う。

長男と次男が、あの二つの試合をどう見ていたのかは、まだ聞いていない。0−3のほうは、退屈だったかもしれない。

ただ、僕自身が次の練習で何をやるかは、この日でだいぶはっきりした。全員が仕掛けられるところまでは、うちのチームも少しずつ来ている。次は、詰まったときに戻せるかどうかだと思う。地味なメニューになると思うけれど、あの日曜日を見た以上、そこは飛ばせない気がしている。

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