見えないところで、育っているもの

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土曜日の夕方、妻からこっそり聞いた話。長男が1時間もかけてお風呂掃除をしていたらしい。しかも、「父ちゃんには内緒にしといて」と、わざわざ妻に頼んでいたという。

本人からではなく、妻を経由して知ることになった時点で、もう笑ってしまった。僕には気づかれないように、こっそりと。実際、言われるまでまったく気づいていなかった。いつも通りの顔で夕方を過ごしていた自分が、ちょっと恥ずかしくなった。申し訳ないような、でもちょっと誇らしいような、変な気持ちになった。

驚かせたい、という長男なりのやり方

黙って1時間も掃除するというのは、8歳の子どもにとって、そんなに簡単なことではないと思う。飽きるだろうし、途中で適当に済ませたい気持ちも出てくるはずだ。それを最後までやりきって、しかも「内緒ね」と言えるところに、この子なりの照れくささというか、ちょっとした美学みたいなものを感じた。

聞けば、近いうちに妻に「お風呂掃除した?」と聞くつもりでいるらしい。妻が「ううん、してないよ」と答えたところで、「僕がやってん」と明かして、僕を驚かせたいのだと思う。つまり、掃除をしたこと自体は隠しておきながら、それを僕に伝える瞬間は、自分でちゃんと仕掛けている。直接「掃除したよ、褒めて」とは言わない。回りくどいと言えば回りくどいけど、そこにこの子らしさがある気がする。

認めてもらいたい気持ちと、それをそのまま出したくない気持ちが、同時に存在しているんだと思う。8歳にしてすでにその両方を抱えて、しかも人を驚かせる形に組み立てられるのだとしたら、それはそれで面白い成長だと思う。だから僕も、その作戦を壊さないように、何も知らないふりをしておこうと思う。妻から「お風呂掃除した?」と聞かれたときは、ちゃんと驚いてみせるくらいの余裕は持っておきたい。

次男の「できないこと」への向き合い方

同じ日、次男はリフティングの練習に行きたいと言い出した。まだ全然できないリフティングを、である。

正直、できないことをやりたがるというのは、それだけで見どころがあると思う。うまくできることばかりやりたがる子もいる中で、次男はむしろできないことに向かっていく。ただ、そこは6歳なので、集中力は長くは続かない。30分もすれば飽きてしまうことは、もうわかっている。実際、今日も途中からボールを蹴るというより、ボールと戯れているような時間になっていた。ボールを転がしたり、追いかけたり、練習というよりただの遊びに近い。

それでも、毎日見ていると、確実に何かが変わってきているのはわかる。ボールへの入り方が安定してきたし、力みが抜けて、体の軸がぶれなくなってきた。1日単位で見ると変化はわずかだけど、1週間、2週間という単位で見ると、明らかに違う。

数字で言うと、少し前まで連続3回で落としていたのが、最近は6〜7回まで伸びる日も出てきた。回数としてはまだ小さな変化だけど、体の使い方そのものが変わってきている手応えは十分にある。

結果より先に、変化が来る

多分、結果というのは、変化がある程度積み重なったあとに、遅れてついてくるものなんだと思う。次男はまだ「できるようになった」という実感を持てていないはずだ。回数が伸びても、本人の中では「まだ全然できない」という感覚のほうが強いんじゃないかと思う。それでも、行きたいと言って、飽きながらも30分ボールに触り続けている。その積み重ねを、僕はコーチとしてではなく、ただの父親として、陰ながら見ている。

長男の風呂掃除も、次男のリフティングも、共通しているのは「まっすぐ褒められたいわけじゃない」というところな気がする。長男は自分なりの仕掛けを用意してから伝えたいし、次男は結果のためというより、ただ蹴りたいから蹴っている。どちらも、僕という観客を意識しながら、意識しすぎないくらいの距離感でやっている。

気づかれなくても、続いているもの

親としてできることは、そう多くない気がしている。長男の掃除には気づけなかったし、次男のリフティングも、劇的に上達する瞬間を見られるわけではない。ただ、気づかないところで積み重なっているものが、確かにあるということだけは、忘れないでいたい。

長男が妻に「お風呂掃除した?」と聞く日が、案外近いうちに来る気がしている。その日、驚いた顔がちゃんとできるかどうか、今から少し緊張している。

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